輝けるスピードスターの引退
栄光に向かって走りぬけた20年
オーロラビジョンには過去の栄光が映し出されていた。テーマ曲でもあったブルーハーツの「TRAIN TRAIN」のメロディーが東京ドーム内に響いた。心に突き刺さるメロディーと歌詞だった。ただ野球がうまくなりたい、チームの日本一という栄光に向かって走った20年だった。
鈴木尚広選手が引退セレモニーを行った。11月23日。巨人のファン感謝デー。スーツ姿の鈴木選手はマイクを通して、仲間へ、家族へ、ファンへ感謝した。泣いている。育ててくれた母・とし子さん。同僚の長野久義選手。こみ上げるものを抑えきれなかったのは当の鈴木選手だった。初めてグラウンドで見せた涙だった。泣かないと決めていたのに。
ケガばかりした入団当初。1年間に3度の骨折があった。何かを変えなくてはいけないと思い、個人トレーナーをつけた。万年、苦しんでいた腰の強化により、ケガが減った。原辰徳監督に見いだされ、2軍選手が栄光の舞台へ引き上げられた。スピードスターは輝いた。開幕スタメン、リーグ優勝、日本一、晩年は代走の切り札として君臨。228盗塁を決め、200盗塁以上では歴代最高の成功率を誇った。
まだできる。まだ見たかった。だけど、ユニホームを脱ぐ決意をした。自分の引き際はわかっていた。心技体のバランスが崩れたとき、自分が自分でなくなることをわかっていた。これ以上、続けていたら、鈴木尚広ではなくなる。ファンが求める姿はそこにはもう、ない。だから辞める決断をした。
つらかった。苦しかった。でも、ファンがいたから頑張れた。引退の美学。ボロボロになるまでやる人もいる。契約してくれるチームがいる限りで続ける選手もいる。
鈴木尚広のコトバはこれだ。
「これ以上やってしまったら、鈴木尚広ではなくなる」
誰よりも一番、自分のことはわかっていた。
ありがとうスピードスター。そして、また新しい自分が見つかった時、グラウンドに姿を見せてほしい。