野球のコトバ

グラウンド内外の野球を通じて、耳にしたコトバの考察。コトバは人を映し出す。読んだ人が明日からの活力になるようなコトバを届けたいと思ってます

監督交代のむずかしさ

いずれやってくる高校野球の監督交代

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 1つの時代が終わるときは必ずやってくる。2015年の3月。千葉・拓大紅陵高校を33年もの間、指揮を執った小枝守監督が同校を去った。学校側から契約しないことを伝えられ、春夏10度の甲子園に出場した監督が無念の思いでグラウンドを後にした。

 

 低迷、学校経営、年齢、世代交代。。。理由はたくさんある。だが、1人の生徒にとって監督はたった一人しかいないかけがえのない存在である。小枝監督は一人の教育者として多くのコトバを残していた。卒業生は野球ノートにそれをしたため、社会人になってもそのノートを大事にかかえている者もいる。プロ野球選手になった人だけではない。社会に出て、経営者となったOBもいる。

 

 小枝監督は話す。「レギュラーだった人もそうでない人も、たった夏の2週間の違いです」。最後の夏。ベンチに入れなかった選手は、それは大きな絶望感に襲われる。ただ、小枝監督は、そんな生徒に対して語り掛ける。そう、考え方ひとつで物事の見た目は変わる。

 

「社会のレギュラーになりなさい」

 

 ベンチ入りがなんだ。レギュラーがなんだ。高校野球の3年間よりも、これからの人生の方が長いのだ。だったら、この3年間で得た経験を将来に役立てなさい、と。野球はうまくなかったかもしれない。ただ「時間をかけた努力は自力になって返ってくる」とも語る。誰よりも将来、自信と誇りを持った仕事をするという力を持ってほしいという願いが込められている。

 

 どんなくやしさを持っていても、自分に謙虚に正直に。ただ、心は熱く、頭は冷静に。そんな男である。2014年を最後にユニホームを脱ぐと思えたが、見る人は見ていた。カテゴリー別に分けられた侍ジャパン、高校日本代表監督に就任。堅実な野球と人柄を武器に、今年の秋、アジアの頂点に立ち、来年、ワールドカップも指揮する。初に世界一へ向けて、戦うことになった。まだまだ戦いは終わらない。

 

 最後にもう一つ。教育者らしい格言を。

 

「『辛』いという文字に一本、線を引くと 『幸』せという文字になる。人生は紙一重なんです」 

 

 辛いことに向き合って乗り越えないと、幸せはやってこない。

 

 だから、日々、頑張らないといけない。

 

 さぁ、前へ進もう。

 

目標

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甲子園にいくことか、

人間教育をして、立派に社会に出ていく人間を育てるのか、

 

高校野球の指導者に課されるものは大きい。

両方できるのが、そりゃベストだけど、

簡単なことじゃない。

 

でも、選手たちをその気にさせることはできる。それが一番の近道。

 

横浜高校監督の渡辺元智監督は、詩人で社会教育者だった後藤静香(ごとうせいこう)氏のコトバに感銘を受けて、部員たちに伝えてきた。

 

「目標がその日、その日を支配する」

 

1日1日でもいい。1年でもいい。目標を持って生活することと、そうでないとでは、成長のペースが違う。高ければ高いほど、それに立ち向かおうとする。乗り越えるためには何をしなくてはならないのかを考える。

 

甲子園なのか、プロなのか、目の前の試合に勝つことか、レギュラーを奪うのか、人それぞれ。

 

一方的に考えさせるだけではなく、そこから監督は生徒とコミュニケーションを取っていた。

 

松坂大輔投手が座右の銘として、このフレーズをあげていた時期があった。渡辺監督の教えからだった。彼が卒業してから間も無く20年経つが、少なくともそれから15年は、グラウンドのホワイトボードには、そのコトバが力強い字で記されていた。このコトバを目に焼き付け、プロになった選手も多い。

 

コトバの力は大きい。

幾つになっても、戦うフィールドが変わっても、目標をもっていたいと思う。

 

ありがとうというコトバ

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以前、原辰徳前巨人軍監督のコトバで忘れられないものがある。

 

「ありがとう(有難う)というのは『難』が『有る』から、有難う、なんだよ」

 

困難や難しい局面が有る。それは人生でも野球でもだ。乗り越えたからこそ、人間は強くなる。無難な人生より、有難い人生を求めたい。

 

難があっても、アリガトウの気持ちで切りぬければ、世界はまた広がっていく。

 

難が有るから、有難う。

困難は自分を強くするチャンス。

輝けるスピードスターの引退

栄光に向かって走りぬけた20年

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 オーロラビジョンには過去の栄光が映し出されていた。テーマ曲でもあったブルーハーツの「TRAIN TRAIN」のメロディーが東京ドーム内に響いた。心に突き刺さるメロディーと歌詞だった。ただ野球がうまくなりたい、チームの日本一という栄光に向かって走った20年だった。

 

 鈴木尚広選手が引退セレモニーを行った。11月23日。巨人のファン感謝デー。スーツ姿の鈴木選手はマイクを通して、仲間へ、家族へ、ファンへ感謝した。泣いている。育ててくれた母・とし子さん。同僚の長野久義選手。こみ上げるものを抑えきれなかったのは当の鈴木選手だった。初めてグラウンドで見せた涙だった。泣かないと決めていたのに。

 

 ケガばかりした入団当初。1年間に3度の骨折があった。何かを変えなくてはいけないと思い、個人トレーナーをつけた。万年、苦しんでいた腰の強化により、ケガが減った。原辰徳監督に見いだされ、2軍選手が栄光の舞台へ引き上げられた。スピードスターは輝いた。開幕スタメン、リーグ優勝、日本一、晩年は代走の切り札として君臨。228盗塁を決め、200盗塁以上では歴代最高の成功率を誇った。

 

 まだできる。まだ見たかった。だけど、ユニホームを脱ぐ決意をした。自分の引き際はわかっていた。心技体のバランスが崩れたとき、自分が自分でなくなることをわかっていた。これ以上、続けていたら、鈴木尚広ではなくなる。ファンが求める姿はそこにはもう、ない。だから辞める決断をした。

 

 つらかった。苦しかった。でも、ファンがいたから頑張れた。引退の美学。ボロボロになるまでやる人もいる。契約してくれるチームがいる限りで続ける選手もいる。

鈴木尚広のコトバはこれだ。

「これ以上やってしまったら、鈴木尚広ではなくなる」

 

誰よりも一番、自分のことはわかっていた。

ありがとうスピードスター。そして、また新しい自分が見つかった時、グラウンドに姿を見せてほしい。

 

 

スタートライン

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初めまして。

 

30代、男、言葉を扱う仕事をしてます。

スポーツの魅力はプレーだげではありません。

選手が発信するコトバにもその力があります。

コトバに心や行動を突き動かされてきた者として、

私もコトバで人の気持ちを後押ししたい。

そんなブログを目指します。

よろしくお願いします。

 

(写真はシカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドに行ったときのもの)